作家に迫る(第九回) 原崇浩|カタログ「秋華洞」2018年冬号

原さんは、ダンディだと思う。

革ジャンにバイク乗りの短髪、見た目もカッコいいと思う。

しかし何より、彼の一本気な男っぽさに惚れる。「芸術家」的な気取りとかプライドとかナルシシズムとは遠く遠く無縁である。

一児の父として、地域で頼られる存在にも見える。彼の家の表札には「班長」の札がぶら下がっている。本人はごくアタリマエのことだと言うが、面倒臭がりはやらないと思う。父兄会の役職などをやる機会もあるらしい。

どちらかといえば内向的な人物が多い絵描きの中では異色である。

原 崇浩「Lucia」2016

彼のダンディは髭を整えて最新のファッションに身を包むというようなそれではない。そもそも本人はダンディとは思っていない。私は見た目がハンサムだとか、そういう事を言いたいわけではない。シンプルな佇まいがいいのだ。竹を割ったような、昔の古武士のようなそれである。

そんな彼の描く油彩画は飾りがない。近頃の「写実」にありがちな写真館で撮影した記念写真のようなライティングの妙とか繊細で滑らかな肌触りは、ない。

むしろどこか粗い。よく言われる「写真のよう」でも、ない。食べ終えた魚の骨とか、流しに詰まった魚の切り身とか犬の死体とか、割った卵のひとかけらとか、描くものも、そっけない。

でも、そっけないことに、感動がある。日常の美しさが光る。描き過ぎない絵肌の荒さに、これは絵なんだよ、人が人に伝えたくて描いているのだよ、という暖かみがある。

原 崇浩「玉子」2011

シンガポールで展示していたら、あるお客さんが30分ほど絵の前から離れずに振り返って僕に言った。

「この絵を見ていると幸せになる」

たいそうな道具立てをしなくても、奇妙なものを描かなくても、美はそこにある。その事を気づかせてくれる彼の作品は、幸福の絵である。

Affordable Art Fair 2018, Singapore

彼は、周囲の人に優しい。その心が、犬の死体の絵にさえ、滲み出る。なんでもない遠景の中の街灯の光に、人生の光を感じさせる。世界は時に残酷だが、でもやはり、優しい。

そんな彼の絵を、皆に見て欲しい、と願っている。(秋華洞 田中千秋)

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原 崇浩