作家に迫る(第二十一回)沖綾乃 |カタログ「秋華洞」2022年夏号

いわゆる美人画家、と呼ばれる画家のなかで、今いちばん私が将来を期待しているのが沖綾乃です。ご本人は少し控えめな雰囲気を湛えて言葉数は多くないのですが、秘めたる大きな情熱を持っているように思われます。
この15年ほど、私どもは江戸から昭和まで続く美人画の系譜に深い思いを抱き、一方で、現代の若手が次々輩出してくる「美人画ブーム」を演出して参りましたが、一番期待してることは、私たちの予想を超えるような新しいリアリティをもった女性像が出て来る事です。

沖 綾乃「纏う」2022

ですが、「新しさ」が新しい時代のリアリティを得ることは容易でなく、非凡な才というものがないと、やはり今必要な美術は生み出せない、ということを私たちは嫌というほど感じさせられてきました。

沖綾乃の登場は私たちにとって、美人画、という見えない枠を乗り越えて、人間像の魅力を伝える新たな表現を予感させるものでありました。何故そう言えるのか。
第一には、その官能性です。美人画というと、なんとなく当たり障りなく、誰も困らない美しさの表現に行儀良くとどまりがちですが、彼女の作品の人物達は単に艶っぽい表情を見せるだけでなく、存在自体が性のあわいも人のあわいも絵画のあわいも越えて、世界に溶け出すような官能性を見せます。
第二に、その表現方法です。第一の特徴とも通じるのですが、いわゆるたらし込みの技法を応用した画面の中に人物が浮かび上がり、あるいは人物が絵の具の中に溶け出して、絵画でないと表現できないイメージの拡がり、そして抽象画にも通じる色彩と形の音楽のような表現が鑑賞者を不思議な幸福感で満たします。

沖 綾乃「白い背中」2021

第三には、被写体たる人物達です。女性像だけでなく、男女、あるいは女女のカップルが描かれます。日本の絵画としては少し大胆な性表現が展開されます。それは単にロマンスの表現とだけ捉えるべきではないようです。
彼女の卒業制作は家族を描くものでした。家の中に家族が集う画面は大胆で混沌として、人間臭く、この画家の興味が実は生きる営みそのものに向けられているように思われます。
最近、彼女は抽象画にも挑戦したいそうです。

「アート」と「人」の交差する平面の中、「抽象画」と「具象画」の境をも越えた本質的なリアリティを見せてくれることを、これからも期待します。(田中千秋)

exhibition: 日本のヌード [ 2022/07/15 – 2022/07/23 ]

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沖 綾乃