対談 池永康晟×森本純 日本画家が語る「美しきおんな絵」の今 | アートコレクター2011年5月号

構図を決めるモデルとの距離感

森本:池永さんの作品は、顔のクローズアップだったり、バストアップだったりするわけですが、構図がとても印象的で、はじめて見た時からいいなと思っていたんです。

池永:私も、下絵のときは、全身像を描くんですよ。その後、大きめの麻布に描きはじめ、麻布を幾度か張り替えながら、徐々にトリミングするんです。 森本:大変じゃないですか。絹本ではとてもできない。でも池永さんの描く女性は、東南アジアのテイストがあって、色気がありますよね。

池永:森本さんは、女性を美しく描きたいとか、エロを表現したい思いはありますか。

森本:上村松園とか鏑木清方などの美人画が好きですし、きれいなものをきれいに描きたい思いはありますよ。

池永:私は描くことで表現しようという気は全くない。私にとって描くことはセックスすることと同じだから。

森本:池永さんにとってはそうなんですよね(笑)。

池永:セックスで表現はしないじゃないですか。愛した人に、どれだけ自分が許してもらえたのか、と確かめ合う行為だから。でも、セックスは果ててしまえばおしまいだけれど絵なら何日でも何日でも絵筆で触れて、愛した人の肢体を愛撫していいのでしょ。

森本:確かに触っている感覚はありますよね。画家として、そういう意味ではわかる(笑)。

池永:全身像の下絵の段階ではまだ自分の指先が相手に届いていない。それが、だんだん前のめりになって、セックスの時みたいに視界が狭くなって。だから、最後にはこんな構図になるんです。

森本:大僕より一歩踏み込んでいるんですね。僕が描く女性は、声を掛けたいんだけど、掛けられないような感じを目指しているんです。

池永:なるほど。ちょっと距離感があるんですね。初恋なんですね。

森本:そうです。僕自身は、絵の中には入っていけないという立ち位置。

池永:私は前のめりになるから、描いている時は絵全体見えないんです。描いている範囲1センチ四方が気持ちよければ良い。それが連続すれば完成になる。

森本:それ、できないですよ(笑)。僕は離れて見ますね。それで近くに行って描いてという繰り返し。絵を描いていくと、ある段階で絵が主張し出す瞬間が来る。ここに赤が必要だとか、途中で絵が言い出すんです。そうなると、取り憑かれたように絵が出てくる。絵の方が自分より上になるんです。逆にそうならない絵はあまりよろしくないことが多いですね。

池永 康晟「轍・真美」2011

薄塗りを重ねて肌を生み出す

森本:僕は絵を見る時、形より色彩で捉えることが多いんです。だから色にはものすごく気を遣います。例えば、肌色を出すのにも、薄い色を何十回も塗り重ねていく。

池永:私も同じです。同じ色を何度も重ねていくと、絵具が絵具色でなくなる瞬間が来る。肌の物質感が現れて人間になる。

森本:ありますね。

池永:でも、必ずしも毎回でるわけではない。

森本:ええ。ほんの少しの練り具合、気候、湿気、塗り方に左右されます。

池永:内緒なんですけど、私、絵具と膠とを毎回電子計りでデータを取っています。なのにいつも違った結果になる。必ず同じ結果になるように、微調整していくのが職人なら、僕は、様々な良い結果がでるひとつのレシピが欲しい。肌色がきちんと出たらもうほとんど成功だから。

森本:確かにそうですね。

池永:厚塗りで一発ならある程度調整できる気がしますけど。

森本:塗っていく上で水分が飛んでいきますし、神経が1回でも抜けない。1回でも失敗すると全てが駄目になってしまいますから。池永さんはキャンバスに岩絵具ですよね。よく描けますね。

池永:先に麻布を褐色に染めるんです。そこに薄い肌色をかけると糸目の奧に落ちていく。そして麻布の糸目の頂上に地塗りが残るんです。褐色と肌色とが織物、タペストリーのようになってほしい。

森本:それは見てわかります。絹本でもそれは一緒です。色が絹本の溝に落ちていく。 現在の美人画はいかにあるか?

池永 康晟「水溜まり・真美」2012

森本:日本には多くの美人画があったのに、今の日本画で人物を描く方は減っているのをどう思われますか。

池永:愛した人を描くのが一番始めの衝動のはずなのに、日本画家が人物を描かなくなった時代が長すぎると思います。私も先人の美人画を憎んだ時期がありましたから。でも、もう私達は描いていいのだと思う。

森本:池永さんは、自分の絵を美人画だと思いますが。

池永:そういうつもりはないけれど、美人画と呼ばれるのは、好き(笑)。森本さんは?ヌードは描きませんか?

森本:ヌードは難しいですね。僕の場合、ヌードを描くと、女性らしさが出ないかもしれません。やはり松園とか清方から出発してますので。

池永:私は自分の最期にヌードを描きたい。恋人の裸の死体を。

森本:池永さんの「美人画」の究極の姿ですね。

池永:森本さんの絵の中の女性には、恋しちゃう感じがありますね。私の絵にはない感覚です。

森本:いえ、しますよ(笑)。でも、確かに、自分の絵に恋をして欲しい、というのはありますね。愛ではなく恋。なんとなく、ちょっとほっとけないぞ、というぐらい。

池永:僕の画は恥ずかしい行為の後に出てきたものなので。もうどう見て欲しいとかはないですね。

森本:決定的な違いかもしれませんね。僕は見てもらう人をある程度意識していますから。ちょっと寂しいとか、風が気持ちいいとか、そのくらいのことですが、絵の中にある程度の物語があるんです。それを感じて欲しいと。花を描くときもそうですよ。強烈な赤い花なら、「あなたを魅了してやるわ」みたいな気持ちを込めますし、ピンクの淡い花なら、日陰でいじらしく咲いている感じを、と感情移入ができやすいように描いているんです。

池永:先の時代に「美人画」というひとつのイコンが完成して次の世代がそれを憎むのは、当然のことだと思います。「今さら日本画で人間を描いてどうするのか」と幾度も言われました。でもまだ、そのように躊躇して苦しんでいる画学生がいるなら言ってあげたい。「もうまた、始めて良いのだと思う。私もいる、森本さんもいる」と。

(2011年3月28日・編集部にて)

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池永 康晟