作家に迫る(第十三回) 大竹彩奈|カタログ「秋華洞」2019年秋号 彼女の美人画の持ち味は「色気」だ。女性画家が女性を描くとき、自己投影の要素が強くなる。だから「色気」を出そうとすることは必ずしも当たり前とはいえない。 彼女の場合、智内兄助が描いた宮尾登美子の小説『蔵』の表紙絵となる女性像が自分の絵を描く契機になったという。
作家に迫る(第十二回) 服部しほり|カタログ「秋華洞」2019年夏号 その描線は渦を巻き、暴れて、跳ねて、どこへいくのかわからない。恐るべき形相の人物や鳥たちが奇妙な調和を保ちながら、躍動し、ときには可愛らしい所作をして、ふと知的な眼差しを落とす。 最初にアートフェア東京でその作品群を見たとき、強烈な驚きと、ある種の抵抗感を覚えた。
蔵丘洞で、原崇浩さん個展 | 代表 田中千秋のFacebookより転載 蔵丘洞で、原崇浩さん個展。 ひとは彼の作品を見ると幸せになる。あの空間にいる間、私は幸福であった。何故だろう。多分虚飾のない魂に触れるからだろうと思う。 彼の絵は、風景も静物もいいけれど、女も男もいい。男もいい絵は、歴史的には幾らでもあるけれど、近頃の日本では、あまり知らない。
折原一先生による「暗がり」にまつわる怪異のエッセイ|アートコレクターズ2019年1月号 昨年、バニラ画廊さんで行われた小説家・折原一先生のコレクション展「メメント・モリ」で、ひときわ異彩を放って評判だったのが、岡本東子の幽霊画《暗がり》であった。折原先生はそのことを受けて『アートコレクターズ2019年1月号』にて、「死の微笑-1枚の絵をめぐる怪異」というコラムを見開き2ページの紙面を割いて書いて下さった。
作家に迫る(第十回) 岡本東子|カタログ「秋華洞」2019年春号 岡本東子は、池永康晟が牽引する「美人画ブーム」の伴走者としての役割を果たしてきた。 彼女の描く女たちは希望と絶望の間を行き来し、女性が描く女性像として多くの人の共感を得てきた。ただし、彼女の世界がいわゆる「美人画」であるかといえば、そうであるかどうかは実はわからない。
作家に迫る(第九回) 原崇浩|カタログ「秋華洞」2018年冬号 原さんは、ダンディだと思う。 革ジャンにバイク乗りの短髪、見た目もカッコいいと思う。 しかし何より、彼の一本気な男っぽさに惚れる。「芸術家」的な気取りとかプライドとかナルシシズムとは遠く遠く無縁である。
作家に迫る(第八回) 三嶋哲也|カタログ「秋華洞」2018年夏号 三嶋さんとの付き合いは、たまさか手に入れた彼の静物画から始まる。このカタログに掲載するに当たり、お知り合いになったのだ。 もともと、とあるホテルアートフェアのバスルームで展示されていた、なにか異様な魅力を放つお尻の作品を拝見して気になってはいた。
作家に迫る(第七回) 北川麻衣子|カタログ「秋華洞」2018年春号 モノクロームの画面の向こうにいる異型の青年が手招きする。 こちらにおいでよ、楽しいよ。・・・そのジャングルでは、動物も人間も人間モドキも共に仲良く暮している。 何故かなつかしいような、穏やかな異世界。
作家に迫る(第六回) 内田すずめ|カタログ「秋華洞」2017年冬号 自らが「絵かき」になる前は何人かの画家のモデルでもあり、またコレクターでもあったという異色の経歴を持つ作家です。 絵を描きたい気持ちを抑えて就職したものの、やはり描かずにはおれなかったという、この人の絵は荒削りではあるものの、鬼気迫る迫力をたたえています。
作家に迫る(第五回) 陳珮怡|カタログ「秋華洞」2017年秋号 絵画の世界に、「猫」というジャンルが確立されたかのように、世の中には次々に猫の絵が生み出されている。 可愛い猫の絵は沢山ある。 その中で台湾の画家、陳珮怡(チン・ぺイイ)の猫は生きている。絵の中で確実に生きている。
作家に迫る(第四回) 中原亜梨沙|カタログ「秋華洞」2017年夏号 中原亜梨沙は、不思議な力を持っている。それは、見る力だ。 メデューサは、見た者を、石に変えてしまうという。彼女は逆だ。何かを見ると、彼女が石に変えられてしまう。 彼女は、見え過ぎてしまうのだ。だから、茄子を見るのも怖いという。
作家に迫る(第三回) 鈴木博雄|カタログ「秋華洞」2017年春号 鈴木博雄の作品にただよう愛らしさときたら、もうたまらない。 鈴木は芸大修士課程で「修復」を学び、古画に触れるなかで、独自の絵画観を見出した。日本美術の 本質は、「ユーモア」であると。